反日メディアの正体?戦後日本に埋め込まれた「GHQ洗脳装置」の闇
これは産経新聞の元編集長の真っ当な真摯なビデオです。
ダイレクトさんから購入し、お借りしましたが、営利目的でなく、またこのようなコラムを目にすることのない方へ、また出来る限り多くの方に
聴いて頂きたい日本の真実の歴史であり、日本人としての誇りを持って今から活動して頂きたいと切に思い、取り上げています。
(ダイレクトの社長さんも、思うところはご一緒だと思います。ご了承下さい)
*学生の頃、歴史が嫌いであまり関心も無かったが、今思うと、あの時先生がたは、現代史のところは試験に出ないから、流す程度に見ていてくれ、って言っていた。
いま思うと、そんなところに日教組の影響があったんだな,と思います。
1章
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4章
4月28日
赤穂浪士の討ち入り
これは歴史家や地政学者にとって、かなりの難問だった。
なぜなら、吉良邸は江戸城郭内にあって、北には北町奉行、南には南町奉行、その他もろもろの厳重体制。
さらに吉良邸の呉服橋門から八丁堀にかけては町奉行の与力、同心の住居屋敷が展開。その数は幕末には約7000人余りと言われ、
治安警備関係者の根城となっていた。
そのなかをかいくぐって突入など絶対不可能・
が、突然の吉良邸の移転、それも警戒手薄な倉庫街に。
何なく討ち入りは成功しました。
1703年7月、浅野内匠頭の切腹から耐え忍ぶこと1年半。
ついに大石内蔵助は京都の円山会議で吉良討ち入りを宣した。
その後、9月から10月にかけ47名の浪士たちは三々五々、江戸に潜入。
そして1703年12月14日未明、赤穂浪士たちは吉良邸に討ち入り、ついに吉良上野介の首を取った・・・
なぜ、そのような移転があったのか?
徳川幕府から「筆頭の高家」という特別な職を与えられており、屋敷は江戸城郭の中にありました。
しかも吉良家は、征夷大将軍の任命に必要な、朝廷の許可を得るための大事な仲介役を務めるほどの権威でした。
そこには深い怨恨があったのです。
もともと吉良家は高家で、愛知県矢作川の上流の出。
川筋では必ず優劣関係が形成されていきます。
最も一般的で根強い優劣は、その川に先に住み着いたものの優先権でした。
水源地を牛耳る位の高い家元で、その下流には徳川があったのです。
優位の者は川の水を優先的に使い、洪水を受けないように対策を打つ。劣位の者は、取水したり治水工事をしたりするにも、優位者の了解がなければできない。
豊富な農作物がとれる吉良家にたいして、洪水がしょっちゅう起こる悪環境に甘んじていたのです。
それが時の流れで天下を獲ってしまった。
が、朝廷に通じる高家の吉良をないがしろにできず、100年余り苦渋を飲んできたのでした。
圧倒的な権力者になった徳川家は、吉良家に屈折した感情を抱くことになりました。
矢作川での長年の劣等意識がそのまま江戸城に持ち込まれたのです。
しかも、将軍が変わるたびに毎回吉良家が朝廷との仲介をしていました。
権威の吉良家と権力の徳川家との厄介で複雑な関係は、2代将軍の秀忠、3代家光、4代家綱、5代綱吉と100年間も続いていきました。
そんな時起こった浅野内匠頭の暴挙。高家に対して刃傷沙汰をした浅野家はお家取り潰し、浅野内匠頭は切腹という裁定が下されました。
この機会を逃すわけにはいきません。
そして、見事討ち入り成功、しかし、四十七士は取り調べ後、全員切腹です。
「四十七士の討ち入りは、幕府の威信を損ない、天下の平穏を乱した。
そのため、彼らは取り調べの後、全員切腹させられ、その日のうちに埋葬された。当時、四十七士は間違いなく重大な犯罪者たちであった。」
遺体は東京・高輪の泉岳寺に葬られました。現在でも赤穂浪士の墓があり、祀られています。・
・・その泉岳寺こそ、徳川家康が創立した江戸で唯一の寺なのです。
これは徳川幕府の積極的な同意があった何よりの証拠。
でなければわざわざ狭い泉岳寺に四十七士がまとまって埋葬されることなど考えられないことなのです。
首都大学東京客員教授 竹村公太郎氏のコラムよりお借りしました。
4月13日
驚き世界の裏戦略 ←クリックで見られます。(ちょっと長いけどなかなか読み応えあります。)
4月12日
このようなHPに挙げるのは、見られた方にとって、失礼になるかもしれないし、載せてはいけない、という定説もありますが、
今の現状を少しでも多くの方が認識することが経済をいい方向に向かわせることに少しでもつながっていけば良いな、とおもって載せて言います。
騙されてはいけない現状 なぜ、このような不都合な事に執着するのか?わからないーー。
官僚の権力闘争で壊れる日本
元財務官僚・黒田東彦が知られたくない不都合な真実
「ここからはセンシティブな話なので、外に出ないよう議事録から外してもらいたい」
2015年2月12日の諮問会議。黒田氏は「オフレコ」にするよう求めたうえで、こう話を始めた。
「欧州の一部銀行は、日本国債を保有する比率を恒久的に引き下げることとした」
日本が14年秋に消費税10%への引き上げを先送りした後、日本国債の格下げが相次いだことに触れた。そのうえで、こう続けた。
「”財政再建”をもっと本腰を入れてやらないといけない。リスキーな状況になってきている」
黒田の「大演説」に会場は凍り付いた。いまは日本国債は「安全資産」として人気があり、金利が低い。だが、もし日本政府が財政再建に消極的と世界に見なされれば、金利は暴騰する――。
そんな「脅し」であった。
それに対し安倍総理は、明らかに不快な表情を見せながら、黒田東彦日銀総裁にこう強く反論した。
「政府の負債だけ見れば確かに大きいが、資産を差し引いた純負債額で見ると他国とあまり変わらない。なぜそういう話は無視するのか」
黒田氏は反論に詰まり、苦虫を噛み潰したような表情を見せた、、、
なぜ、安倍総理は黒田氏の「日本の財政がリスキーだ」という主張に強気の反論ができたのか?それは、黒田氏の矛盾する主張を知っていたからだ。
2017年12月12日、安倍総理は経済評論家・三橋貴明と会食をしていた。その会食の中で安倍総理はふと、こう漏らした。
「財務省も、日米の自国通貨建ての国債のデフォルトはあり得ないと、外国の格付け会社に意見書を出してるよね。しかもこの意見書を出したのは、黒田東彦財務官(当時)だった。知らないはずがないよね。」
そう、黒田氏は、日本が財政破綻することはあり得ないと知っているのだ。知っていながら、日本の財政が「リスキーだ」という理由で、毎回強く消費税増税を求めている、、、
なぜ黒田総裁は矛盾する主張をしているのでしょうか?黒田氏が財務省の官僚だったからでしょうか?
確かに黒田氏が出身の財務省は、外国向きには「日本の財政破綻はあり得ない」と主張し、相変わらず国内向きには、「国の借金1080兆円越え!」「財政再建のためには、増税やむなし!」と嘘をバラまいています。
その財務省に、黒田氏がおもねっているとしたら、、、?あるいは何か別の力が働いているとしたら、、、?真相は黒田氏本人に聞かなければわかりません。
ですが、日銀を含む国家権力が何となくの「空気」「雰囲気」により動かされてしまっている可能性はないでしょうか、、、?森友文書の改ざんは、安倍総理や麻生太郎財務大臣、あるいは誰かしらの財務官僚といった明確な犯人がいるわけではないということが、次第に明らかになってきました。財務省の中に漂う「空気」「雰囲気」に飲まれ、何となく組織・政権・上司に忖度して、文書を改ざんしたというのが真相のようです。
黒田氏の嘘もまた、そういった「空気」「雰囲気」に飲まれて、財務省という巨大な国家権力に忖度しているものだとしたら、、、?
「財政均衡主義こそ善」という一種のドグマに飲まれ、支出削減や増税に走らざるを得なくなっているとしたら、、、?
「次世代にツケを残すのか!」「今こそ国民も痛みを伴うべき!」というレトリックに負け、国民は今よりもっと貧しくなり、外国との競争力は低下し、国力が落ちることは避けられません。
その結果、「これからはインバウンドだ」「観光サービスを充実させよう」という方向に走り、中国人や韓国人といった裕福な観光客に媚びへつらい、街中には中国語や韓国語の看板が溢れ、
民泊や白タクが流行り始めています。これはまさに、発展途上国化そのものではないでしょうか?
実際に黒田日銀は、発足当初から2%の物価上昇目標を掲げながら、その達成時期を6回も先送りしています。
これで、当初の「2年で2%」という「短期決戦」を想定していた政策は、丸7年以上続くことが確実になりました。結局、未だに日本はデフレから抜け出すことができていません。
過去20年間、日本人の所得の合計であるGDPは全く増えませんでした。その一方でアメリカ人は2.3倍、韓国人は2.4倍、中国人にいたっては13.0倍と、猛烈なペースで所得を増やして成長を続けています。
そんな状況で、4月8日、元財務官僚の黒田氏が引き続き日銀総裁に就任することが決定しました。このままでは、これまでの巨大な国家権力に忖度した政策が続く一方です。
「空気」「雰囲気」による政治、政策に理論武装し、国民がそれを見抜いて、官僚の腐敗を暴くことができない限り、日本は発展途上国と化し東アジアの一小国に成り下がってしまうかもしれません。
日本が再び成長するためには投資を増やすしかありません。では日本が投資を増やすためには、どうしたらいいのでしょうか?
答えは将来を信じることです。投資はリスクを伴います。リターンがあるかもしれないし、ないかもしれない。
そんなリスクを背負って投資をするということは、将来豊かになれる、あるいは豊かにするという気持ちがないとできません。
「人間、そんなリスクを負えない」と思われるかもしれませんが、それをやったのが、高度成長期の日本人です。
ところが逆に日本では、「将来、どうせ日本は衰退するよ。老衰大国だよ。中国にも抜かれたし、そのうち韓国にも抜かれるよ」などという言説ばかりです。
そうなると何が起きるか?人は投資をしなくなります。当たり前です。すると、本当に老衰し、経済が衰退していく、、、これが今の日本の現状です。
三橋貴明『日本人のための「21世紀の真・経済論大全』<経済指標の読み方編>よりお借りしました。
現状がどうもぼんやりしてわからない方へ、ってのは失礼かもしれないが、ぼくも何か漠然として分かりずらかったので、載せました。
4月4日
理に叶った説明だと思います。
なぜ?いや絶対に外国人労働者を入れてはいけないか?また折角のこの絶好の機会を台無しにするのか?が分かります。
政治家の方も忙しくなかなか勉強する間が無いのは分かりますが、これ絶対見て下さい。短時間で理解が進みます。
...中国や他の共産圏の工作員が入りこんでるマスコミの最悪プロパガンダ等に騙されないようにーー。
政治家や企業、特に大企業や基幹産業のTOPの方が見るべき。
また一般国民もよく理解して、近隣の地方議員の方に草の根進言するべき、と思います。
3月31日
断片的ではあるが、以前から気になっていたスーチさんの全容か?どうかは分かりませんが、どうも胡散臭い人のようですね。
以下
ミャンマー大使の山口洋一氏とジャーナリストの寺井融氏の共著「アウンサンスーチーはミャンマーを救えるか?」(マガジンハウス刊2012年)を借り今読んでいるが、その中でアウンサンスーチーとその父アウンサン将軍の比較した箇所がある。
「ともに素晴らしく頭の切れる人物という点では共通しています。実に頭脳明晰で頭の回転が速く記憶力も抜群です。しかし大きく異なる点が二つある。将軍は謙虚で控えめな性格でけっして驕ることがなく、他人のいうことに耳を傾ける人物であったのに対して、娘のほうは気位が高く、高慢で、強硬な自己主張をする。自分の言うことはすべて正しく、他人は自分の発言を聞き、それに従うべきだと思っている。他人の発言を傾聴することはまったくない。
将軍は素朴で粗野な性格で粗削りの野人といった印象を与える人物であったのに対して、娘は西欧流に洗練された身のこなしや衣服の着こなしにいたるまで、趣味の良さを印象づける。しかし彼女からは将軍の持っていた誠実さや率直さはみじんも感じられない」
彼女には偉大なる父君、アウンサン将軍から受け継ぐべく品位が感じられず、何だか比較しては失礼だが、アッパラパーの福島みずほちゃんと同じ匂いや卑しさがどことなく漂っている。私にとっては悪いイメージしかないアウンサンスーチーだが、マスメディアの報道だと彼女のことを「軍事政権と戦っているヒロイン」「現代のジャンヌ・ダルク」など礼賛するのがほとんどで、彼女を批判するものはなかった。僅かに元産経新聞の記者の高山正之さんの本「スーチー女史は善人か」があるくらいで、「平和のシンボル」アウンサンスーチーを批判するのは憚られてるような雰囲気だった。
しかし、最近はアウンサンスーチーの実像が徐々にではあるが暴かれ始めている。週刊新潮4月25日号「新聞は持ち上げてもアウンサンスーチー 実にいやな女だった!」の中で元ミャンマー大使であった山口洋一氏の体験談を掲載している。それによると、彼女は「軍はけしからん」「民主化しろ」というだけで、政治的素養もビジョンもないとバッサリ、又、1997年のミャンマーがASEAN加盟に際し、当時の橋本首相が賛成したことにアウンサンスーチーは「軍が横暴となり、反対勢力は皆殺しにされる」と怒鳴り散らしたそうだ。また翌98年、ヤンゴン国際空港の滑走路の整備に日本政府が援助を決定したことに対し烈火のごとく怒り、山口氏が「人命にかかわることで、空港が機能しないと国際交流もなくなる」と言うと、驚くことにスーチーは「ミャンマーは孤立してもいい」と言い放ったという。今ミャンマー国内で自分の支持勢力でもあった少数民族が軍から攻撃を受けている問題でも「私は関係ない」と発逃げ回っている。何だが‘瞬間湯沸かし器’‘バ菅’と言われた菅直人を彷彿させるようだ。ネットの世界でもアウンサンスーチーに対する疑念も出ているようで、彼女に対する批判的な記事も少しではあるが見受けられる。
アウンサンスーチーは訪日中の4月17日、日本記者クラブの会見で「政党のトップで国のトップになりたくない人がいるのか。なりたくなければ偽善ではないか」と語っている。この言葉にこの婆さんの本性が透けて見える。婆さんからすれば、自らの名誉欲を満たすために、民主化、民主化と叫び続けていたのだ。国内の不満分子や少数民族を集め、騒動を繰り返す。そういった連中は彼女にとっては捨て駒に過ぎず、恐らく政権を奪取したらポイ捨てにしてしまうだろう。自らの栄耀栄華が目的なので早晩ミャンマーの国民を捨てることになると思う。それ以前にこいつはミャンマーのことを知らなさすぎるし知ろうとはしないだろう。なぜなら彼女を育てたのは、ミャンマーの国土を奪い、ミャンマーの大半を占めるビルマ族を最下層に貶め、国内にインド人、中国人、少数民族を入れ分断統治をした、ビルマ族が忌み嫌うイギリスだからである。これは高山先生の本からだが、彼女は思春期から中年期までをインドやイギリスで過ごし、ご丁寧にイギリスは年頃になった彼女にハンサムなイギリス青年(実は諜報部員)まで提供している。このことからして彼女自身は骨の髄までイギリス人となっているので、どうしても顔はイギリスに向く。先ほどの空港のこともあるが、この婆さんがミャンマーのことを考えているとは言い難い。政権を取ったとしても、恐らく欧米の走狗になり、イギリス植民地時代に逆戻り、国内はガタガタになり結局彼女はミャンマーから追放されるだろう。その後、フィリピンの女性大統領で悲劇のヒロインだが無能だったアキノの後に国を救ったラモスのような有能な人が現れれればいいが、アウンサンスーチー失脚を出しに欧米、もしくは支那が介入し、ミャンマーがぐちゃぐちゃになるリスクの方が高い。
3月30日
ワインをデキャンタージュする意味・方法は――飲み頃になる時間は何分?
「デキャンタ」とは、主にガラスでつくられたフタ付きの食卓用瓶のこと。ワインの澱の除去や酸化を促す目的で、ワインを飲む前にデキャンタグラスに移し替えておくことがある。
日本語では「デキャンタ」ではなく「デカンタ」と表記されることもある。ただし、英語表記でのスペルはどちらもdecanterとなり、同じものを指している。
比較的若くて安いワインでは、蓋のついていない食卓用瓶「カラフェ」で提供されることもある。カラフェはいわゆるピッチャーのように使う容器だ。ワイン以外にも使えるため、自宅にあっても重宝するだろう。
デキャンタージュする理由・意味は、ワインの種類によって異なってくる。
≪成熟したワイン≫
成熟したワインをデキャンタージュする理由・意味は、澱(おり)を除去して心地よいタンニンにするためだ。
澱(おり)とは、主にヴィンテージの赤ワインやポートワインが熟成を経て生じるもの。色素成分やタンニンが結合してできる。
赤ワインだけでなく、ヴィンテージの白ワインでもミネラル成分が結合してできることがある。
≪若い赤ワイン≫
熟成感が足りない若い赤ワインをデキャンタージュする意味としては、空気に触れさせることで熟成を促進できる点が挙げられる。香りを華やかにして、味の複雑さやまろみを引き立たせる効果がある。
特に10年経っていない若い赤ワインは、デキャンタージュした方がよりワインの魅力を味わえるようになるだろう。
≪ボルドータイプのワイン≫
赤ワインの中でも特にボルドータイプは、デキャンタージュすることで味わいもマイルドになり、香りもよくなると言われている。
また、2016年3月27日付のDecanterの記事「When to decant white wine ? ask Decanter 」では、ボルドーの人々はドライな白ワインをデキャンタージュすることを紹介している。
≪冷やし過ぎたワイン≫
また、デキャンタに移すことで、ワインの温度を上昇させる効果も期待できる。ただ、「冷やし過ぎたから」とデキャンタに移し替える場合には、次項の「デキャンタージュしてはいけないワインではないか」と確認すること。さらに酸化し過ぎないためにも、その日のうちに飲み切ることがポイントだ。
ここまでに紹介したワインはデキャンタージュに向いているワインだが、向いていないワインもある。デキャンタージュしない方がいいワインとは、酸味の強いワインだ。
一般的にブルゴーニュタイプのものは、デキャンタージュに向いていないと言われている。特にピノ・ノワールは、デキャンタージュすることで魅力を失ってしまうので要注意だ。
デキャンタに移し替えるのにも、ちょっとしたコツがある。いずれのタイプの場合も、開栓した後に、ボトルのネックをきれいに拭いてからデキャンタージュするのがポイントだ。
≪若い赤ワインの場合≫
若い赤ワインの場合には、澱を気にしなくていい。できるだけ空気に触れられるように、デキャンタにボトルを立てるようにして、一気に注ぐようにしよう。注いだ後にはスワーリング(デキャンタの中でぐるぐるとワインを回すこと)して、空気と触れ合わせよう。
≪熟成したワインの場合≫
熟成したワインをデキャンタージュする場合には、あらかじめボトルを1日程度立てて置いておこう。澱をボトルの底にあるくぼみに貯めておくのが目的だ。
そう考えると、パーティなどにデキャンタージュした方がいい成熟したワインを手土産として持参する場合には、当日持ち込むのではなく、事前に送っておいて保管をお願いした方がより快適にワインを楽しめるだろう。
熟成ワインを扱うときには、できるだけ静かに抜栓しよう。デキャンタに澱が入らないようにゆっくりと、途中でネックを上げ下げせずに注ぎ入れるのだ。ボトルの中のワインが残り半分になったら、より慎重に注ぐようにしよう。
ボトルのネック部分に澱(おり)が見えたら、そこが注ぐのをやめるポイントだ。澱がはっきり見えない場合には、色が濃くなったり濁ったりするのが目安となる。
ソムリエでも澱にすぐ気づけるようにネック部分を下からライトで照らし、注意しながら注ぐ、なかなか神経を使う作業だ。
デキャンタージュすることで温度が上がるので、必要に応じてアイスバケツを用意しておくといいだろう。
飲むタイミングは?
注ぐのより難しいのは、デキャンタに注いだ後に飲むタイミングの測り方だ。
一般的には年代が新しいものは長くて2時間程度、古いものなら20分程度経ったら飲みごろだと言われている。なかなか判断は難しいだろう。
始めのうちはそれほど堅苦しく考えず、飲んでいくうちに表情を変えるワインを楽しむつもりで、あまり飲むタイミングにこだわらず、いろいろと試してみてもいいかもしれない。
特に若いワインの場合には酸化が進み過ぎてしまいがち。デキャンタージュをしたその日のうちに飲み切るのもポイントだ。
デキャンタにはいろいろな形やサイズがある。
若いワインを飲むことが多いのなら、空気と触れ合わせやすいデキャンタを選ぶといいだろう。スワーリングしやすい下ぶくれのデキャンタがお薦めだ。
成熟したワインを飲むことが多いのなら、逆に空気との接触面積が小さくなる縦長のデキャンタを使うといいだろう。
レストランなどでは面白い形のデキャンタを使用しているところもある。しかし家庭で使うとなると、洗いにくく収納もしにくい。家庭で使うのなら、スタンダードな形のものを選ぶのが賢明な判断だと言える。
3月16日
1つ目は、瞑想の仕方。これ、大事です。
瞑想の後に願いを望みを想念することで、叶いますので。
瞑想の仕方。
もっとも簡単な瞑想のやり方を話します。
椅子に座り、マントラ(真言)を心の中で唱える。これだけ。
姿勢
椅子に座ります。
私は、40年間やっています。そして、その大半は、通勤電車の往復の時間にやりました。
電車の中の椅子が私の修行場でした。どんな環境でも可能です。
時間帯
朝と夜の2回できたら、いいですね。
前述のように私は、通勤の行き帰りの時間にやりました。
昼休みにカフェでもやり、家で寝る前にやる(気持ちよく眠れる)こともあります。
マントラ 瞑想状態に入るための短い言葉。
これがマントラです。意味がないのが良いのです。
意味があるとそちらに思考が引っ張られますから。
「ナマハ」と唱えてください。あるいは「ラーム(Lum)
手の組み方
椅子に座ったまま。
禅僧のように法界定印。
http://www.jinguuji.or.jp/zazenkai/img/grip.jpg
ヨガ式に。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/cf/01c7a4ca1835742ac112f4b04e043b04.jpg
実は、これも形にこだわる必要もない。
私は、通勤電車の中で、いつもカバンを持っていたので、理想的な手の組み方は、できなかったです。
左右の手が全く別の形になるのが普通でした(左の手でカバンを抑えるとかね)。
あまり、気にしない。
やり方
椅子に座り、瞑想の姿勢をとり、目を閉じます。
心の中でマントラの言葉をゆっくり唱え続けます。
15分から20分。
雑念は浮かんできた方が良い。
雲のように雑念が流れるのを楽しく眺めるイメージ。
簡単でしょう?
私は、よく外国に行きます。
タイが多いですね。
不思議なことに外国に行くと頭が冴えてきます。
私の考えた3つのこと。
特に2つめの憲幸先生は重要。
僕は、「Why」ではなく、「How」でいつも物事を考えているんです。
多くの人が何故、物事をマスターするスピードが遅いのか、はそれは彼らがいつも、「Why?なぜ??」「なぜ、俺は、ものを売ることができないのか?」と自分の脳に尋ねるからなんです。
でも僕はいつも何か問題が起こった時、何かをマスターしたい時、目標を達成する時に、「How?どうやって??」「どうしたら、お客をたくさん見つけることができるのか?」と自分の脳に聞くんです。
すごく単純に聞こえるから皆見逃しているポイントなんですけど、実はこの自分の脳に尋ねる方法をほんの少し変えるだけで人生の成功者と敗北者に分かれてしまうんです。
脳って実はすごい物なんです。どんなに難しい難題をぶつけても、どんな最新のコンピューターでも解けない難関をぶつけても、「必ず」答えを出してくれる信じられない程、アメージングな物なんです。
ビジネスでも応用できますよね?
最近の研究報告によると、人間の脳は毎秒1000万ビット以上の情報を処理できるのです。
Mr.Xは、このことを言っているのですね。
ただし、これは、意識下の領域、潜在意識の領域に属することです。
意識して論理的に処理できる情報量は毎秒40ビットしかないのです。
どちらを使ったほうがいいのか?
答えは、簡単ですね。
繰り返しますが、このメソッドを応用するとビジネス、生活の全てでマスターになれます。
3.お金をもっと稼ごうぜ!
「お金を稼いでやるぜ!」という男らしい勇気、覇気がない草食系が多数派です。
こういう点、日本男児は有利なようです。
資本主義社会に住んでいる以上、「お金を稼ぐ能力」=「サバイバル能力、男らしさ」です。
「もっと稼ごうぜい!」と決意しました。
以上の3つを実行すれば、「道を究める」ことが可能と確信しています。一緒に頑張りましょう。
(山田豊治さんのページから)株式会社スロートレーニング<support@hikaruninomiya.com>
想念術のやり方です。
とてもシンプルですが、これで自分の人生を変えました。
信じること、信じ続けること。
1.まず、瞑想をする。
2.瞑想を終える前に。
過去の自分の輝かしい思い出に浸る。
陸上競技の大会で優勝とか難しい入試に合格したとかです。
3.その後で、自分の叶えたい夢を生き生きと思い浮かべます。
実際に起こっているような感じで感じ取るのです。
4.それが終われば。
「5つ数えると気持ちよく目覚める」と唱えます。
「1、2、3、4、5」
これで目覚めます。
5.目覚めるために全身の筋肉に力を入れます。
これで終わりです。
シンプル。
私が超自然的に夢を叶えた法。
「憲幸先生の『想念術』をつかった。」
「付き合う人を変えること」
「成功者、優れた人に会いにいくこと」
これだけっす!
「想念術」については後日に書きます。
なので、今日は「付き合う人を変えて人生を変える秘訣」について書きます。
私は、サラリーマンを辞めて、付き合う人が変わりました。
そして、セミナーとかに積極的に出て、アグレッシブに成功者に会いました。
井口さんとか与沢さん、矢矧先生、さがわさん、憲幸先生とか。
わかったこと。
成功者ほど会うのは簡単。
そうなんです、予想と逆でした。
成功者は、積極的にチャンスを求めている人だらけなので、こちらからのオファーも真剣に聞いてくれます。
心がオープンですし、懐が深い。
むしろ、「普通のひと」のほうがやりにくいです。
そして、「普通のひと」とはつき合わないほうがいいです。
親しく付き合わないほうが運が良くなる人々。
・会社の同僚
・会社の上役
・会社の取引先
・両親、親戚
・友人
・近所の人
要するに「普通の人とは付き合わない」ことです。
普通の人は、「人生の夢が叶わなかった人」の集まりです。
「小さい頃は、外国で働きたかったなあ。でも、それは無理やった。今は、ブラック会社で朝から夜中まで働く毎日や。」
「これが世の中や、これが現実や。『夢は叶う筈ない。』」
こんなことを考えています。
影響されます。
付き合わないことです。
「えー、むちゃくちゃなことを言う」と思いなさんな(笑)。
「いっさい、口を聞くな。」と言っているのではないです。
大幅に付き合うことを減らすのです。
そして、優れた人に会いに行くことです。
良い方向に影響されますので、人生が変わります。
「憲幸先生と与沢翼さん」でした。
なかなか奥深い話でした。