高騰している格付けワインの中でも、お値打ち価格のものです。

’20レ・グリフォン・ド・ピション・バロン¥9.680-
(フルボディ)ポイヤック格付2級ピション・ロングヴィル・バロンのセカンド。贅沢に新樽を60%使用し、よりファーストに近いポイヤックらしいスタイル。 シャトー・ピション・ロングヴィル・バロン A.O.C.ポイヤック
セカンド・ワイン メルロー 50%/カベルネ・ソーヴィニヨン 42%/プティ・ヴェルド 8% オーク樽熟成18カ月(新樽比率60%) 14% (2020)「デキャンター」 93点/(2020)「ジェームス・サックリング」 93ー94点

↓一押しのおすすめ!!
’18シャトー・セネジャック¥4.180-
(フルボディ)近年シャトー・タルボのリュスマン氏が所有してから著しく品質が向上したシャトー。深みのある香りで、その味わいは柔らかくて果実味に溢れるタイプです。 A.O.C.オー・メドック 
カベルネ・ソーヴィニヨン 59%/メルロー 29%/カベルネ・フラン 7%/プティ・ヴェルド 5% オーク樽熟成15カ月(新樽比率30%) 14% ワイン・アドヴォケイト90ー92点 (2018)「ジェームス・サックリング」 92ー93点

’20レ・フィエフ・ド・ラグランジュ¥6.000-
(フルボディ)年々評価を上げているラグランジュのセカンド銘柄。セカンドとはいえ格付けシャトーに匹敵する高品質なワイン。 シャトー・ラグランジュ A.O.C.サン・ジュリアン セカンド・ワイン カベルネ・ソーヴィニヨン/メルロー/プティ・ヴェルド コンクリートタンクとステンレスタンクにて発酵  オーク樽にて熟成(225L,新樽比率30%、1年樽70%)熟成  13.5% (2020)「ジェームス・サックリング」 92ー93点

’19シャトー・ド・フォンベル¥5.500-
(フルボディ) シャトー・オーゾンヌを所有するアラン・ヴォーティエ氏が造るワイン。醸造も同じチームが行っています。黒スグリやブルーベリーの果実の味わいでクラシックなタイプのボルドーです。 A.O.C.サン・テミリオン・グラン・クリュ メルロー 85%/カベルネ・ソーヴィニヨン 10%/カルメネール 5% ステンレスタンク熟成 オーク樽10カ月(新樽比率30%) 13.5% リュット・レゾネ ワイン・アドヴォケイト90点 (2019)「ジェームス・サックリング」 92点

’19 レ・オー・ド・ランシュ・ムーサ¥3.960-
(フルボディ)銘醸シャトー・ランシュ・ムーサが2001年から造り始めたオー・メドック。ドゥニ・ドゥブルドゥー教授がコンサルタントを行っています。シャトー・ランシュ・ムーサ
A.O.C.オー・メドック 13.5% (2019)「ジェームス・サックリング」 92点

’21コネターブル・タルボ¥6.270-
(フルボディ)サン・ジュリアン最大のブドウ園、クリュ・クラッセ第4級「シャトー・タルボ」のセカンドワイン。最大の注意を払ってブレンドされた重厚なボディをお楽しみ下さい。シャトー・タルボ
A.O.C.サン・ジュリアン セカンド・ワイン カベルネ・ソーヴィニヨン/カベルネ・フラン/メルロー 13% 


ジョン・タルボット (初代シュルーズベリー伯)
百年戦争
中のイングランド軍の主要な指揮官の一人であり、ランカスター朝における唯一のフランス軍総司令官である。シュルーズベリー伯爵タルボット家(チェットウィンド=タルボット家)の祖にあたる。

戦功をねぎらわれ、1442年5月20日にはシュルーズベリー伯爵に叙せられた。1444年に帰国。1445年にはイングランド王ヘンリー6世からフランス王としてフランス軍総司令官に任ぜられた
同年、ヘンリー6世と結婚した王妃マーガレット・オブ・アンジューフランス語で書かれた装飾写本を献上している。

1446年7月17日には、アイルランド貴族爵位のウォーターフォード伯爵位を与えられた。アイルランドの王室侍従長にも任じられている。

その勇猛果敢さにより、「イングランドのアキレス」(English Achilles)と呼ばれた]

しかしタルボットの将軍としての指揮能力には疑問が呈されており、パテーの敗戦やカスティヨンでの誤った情報に基づく無謀な突撃が証拠として挙げられている。

1433年から1444年の戦闘

タルボット卿と麾下の軍隊は解放後も軍事行動を続け、スケールズと共にフランスから多くの町を奪回した。

恐らく彼は当時最も大胆不敵な戦士でもあっただろうと考えられている。彼の部隊は、フランス軍の前進にたいする緊急機動部隊とも言うべきものであり剽悍であった。1436年の1月、タルボットは小規模な部隊を率いていたが、ルーアンの近くのリ(Ry)でラ・イルとザントライユの軍を敗走させている。翌1437年、クロトワでは大胆にもソンムの町を通過し、ブルゴーニュの兵を敗走させている。1439年の12月には、奇襲による側面攻撃でリッシュモン元帥の6000もの兵を潰走させ、翌1440年にはアルフルールを奪還している。1441年には、4回もフランス軍をセーヌ川やワーズ川の向こうに追い払っている。しかし同年ポントワーズをフランス軍に奪還され、ディエップ攻囲も失敗に終わる[]

戦功をねぎらわれ、1442年5月20日にはシュルーズベリー伯爵に叙せられた

1444年に帰国]1445年にはイングランド王ヘンリー6世からフランス王としてフランス軍総司令官に任ぜられた。同年、ヘンリー6世と結婚した王妃マーガレット・オブ・アンジューフランス語で書かれた装飾写本を献上している。

1446年7月17日には、アイルランド貴族爵位のウォーターフォード伯爵位を与えられた]。アイルランドの王室侍従長にも任じられている。

一方フランスでの百年戦争はイングランドが徐々にフランス軍の反撃で追い詰められていた。1450年フォルミニーの戦いでリッシュモンがイギリス軍を打ち破り、フランス北部のノルマンディーを奪還した。これによりイングランドのフランス領は南西部のアキテーヌが残り、アキテーヌの都市ボルドーも翌1451年にフランス軍に奪われた。

奪回を図るイングランドは1452年、ボルドー市民の要請でタルボット率いる遠征軍を再びフランスに派遣、フランスに上陸したタルボットはボルドーを解放したが、翌1453年にアキテーヌへ攻め込んだフランス軍と対戦したが、弓兵や槍兵など歩兵部隊が多く、騎士や重騎兵が少ない変則的部隊であったため、7月17日のカスティヨンの戦いで敗死した。奇しくもフランス軍を率いていたのは、かつて捕虜にしたアンドレ・ド・ラヴァルだった[。戦場に斃れたタルボットの遺体の損傷は激しく、従者の紋章官が遺体の口を開けて歯の隙間を測って主人であることを確認したのち泣き崩れたという。

10月19日にボルドーも再度フランス軍に落とされ、百年戦争は事実上イングランドの敗北で終戦を迎えた。タルボットの心臓は、シュロップシャーのウィットチャーチにある聖オークマンド教会に収められている。

カスティヨンの戦いにおけるシュルーズベリー伯の戦死を描いたチャールズ=フィリップ・ラリヴィエール英語版の絵画